“木”ーパーソンインタビュー Vol. 4
たにの・ゆうこ 谷野裕子 さん

ときがわの
風土が織りなす
和紙がある。

都内のビジネスパーソンが町と和紙に出会うまで

ときがわ町といえば、⽊だけではありません。開⼭1300年の歴史を誇る慈光寺では、建具をはじめとした⽊材の加⼯・建築のほかに、和紙の技術が育まれました。そして、その技は今に⾄るまで受け継がれています。⼯房「⼿漉き和紙たにの」を運営している⾕野裕⼦さんは、数々の受賞歴がある和紙職⼈。
ただ、実は和紙の世界に⼊ったのは30歳を過ぎてから。

⾕野さんは、およそ30年前に仕事の関係で東京都から埼⽟県に。そこで偶然出会った和紙の世界に引き込まれ、県が主催するときがわ町での和紙職⼈養成講座に応募します。

「応募者の数は100⼈以上で、美⼤⽣や定年を迎えて次の仕事を探している⽅もいました。私⾃⾝は30歳を過ぎで中途半端。何か⾔わないと採⽤されないと思い、『研修⽣になれたら引っ越します』と⾔いました。効果があったのかは判りませんが(笑)、結果は合格でした」

これを機に⾕野さんは勤務していた商社を退職し、家族三⼈でときがわ町に移住します。当時は合併前の旧都幾川村で、まだインフラが整っておらず、空にはムササビが⾶び、カーブミラーの上でフクロウが⽻を休める光景を⽬にすることもあったそうです。そんなのどかなときがわ町の暮らしは、⾕野さんにとってすっと体になじむものでした。

「まず、⽔がほんとうに美味しくて驚きました。あとは、⽥舎だけれど住んでいる⽅たちがオープンマインド。私を含めて移住者に優しい⽅が多いんです。地域の⽅たちに助けられて今があると感じています」

和紙本来のサステナブルな技術を国内外に

⾵光明媚な⼭々に抱かれ、⼦育てをしながら和紙職⼈として腕を磨いた⾕野さん。その努⼒が実り、現在は、ユネスコ無形⽂化遺産に登録されている細川紙の技術保持者、埼⽟県伝統⼯芸⼠、そして彩の国優秀技能者という錚々たる肩書を所持するまでに⾄りました。⾕野さんが専⾨とする細川紙は、どのような特⻑を持つ和紙なのでしょうか。

「細川紙は、島根の⽯州半紙、岐⾩の本美濃紙と並ぶ代表的な和紙のひとつです。⻄の和紙がどちらかというとはんなりしているのに⽐べ、細川紙はごつごつした男っぽさがありますね」

細川紙の⽤途は多岐にわたりますが、その頑丈さゆえ、本襖の内側に貼って内部を補強するといった使い⽅もあるそうです。

もう⼀つの特⻑は、⾮常にサステナブルな和紙であるということ。原料に使うのは、国内産のコウゾ(クワ科の植物)と糊の役⽬を果たすトロロアオイのみ。⼝に⼊れても⼟に戻しても問題なく、100年、200年と⻑持ちする――。まさに循環型の和紙なのです。

「私はこの細川紙の技術を今も勉強しつつ、ワークショップなどで指導も⾏っています。技術は⽬に⾒えないので、⼈に教えるしかない。伝承していくことが⼤切です」

その技術は国外にも。ヨーロッパやアメリカから研修⽣を受け⼊れ、またインドネシアで紙漉きの指導を⾏うなど、細川紙の魅⼒を広く伝えています。

和紙を取り巻くエコサイクル

⾕野さんはただ和紙をつくるだけでなく、原料となるコウゾの栽培から⼿掛けています。

「昔は地元でコウゾを育てていたと聞き、だったら⾃分でつくればいいじゃないかという発想で栽培を始めました。結局のところ、和紙をつくることは農業や林業に⾏き着くんです」

役場に相談して遊休地を少しずつ耕し、試⾏錯誤を繰り返し、粛々と栽培を続けてきた⾕野さん。協⼒してくれる地元の⼈々に株を分け、育ててもらい、それを買い取るという経済の循環も⽣み出しました。

栽培の過程では、⼤きな気づきもありました。ときがわ町で育てたコウゾは、どのような種類のものでも昔ながらの武蔵紙向きの品質になるのです。

「優しい繊維が取れる茨城産の那須コウゾを分けてもらってこの町で育てても、どうしても地場産の武蔵コウゾの雰囲気に近づいてしまうんです。でも、それでこそこの町で和紙をつくる意味があるな、と。今は、地元の⼟、地元の⽔で栽培したコウゾを使うのが⼀番という結論に⾄りました」

飲んで美味しいときがわの⽔は、和紙づくりにも適しているとか。
慈光寺には関東地⽅最古といわれる1100年前の写経が保管され、国宝に指定されています。⾕野さんは、数年前からはその写経⽤紙の再現にも取り組んでいます。脈々と和紙の⽂化が息づくこの町で、⾕野さんは今⽇も和紙づくりに励みます。